*過去の南海トラフ地震*

8月8日夕方の日向灘を震源とする地震で南海トラフ沖地震への不安が増しているように思います。
以前分担執筆した本で南海トラフ地震について調べたことがあり、その時に書いた原稿が残っていました。掲載された文章は編集の方針でこれとは内容が大きく変わりました。そこでもとの原稿をブログにアップしようと思います。

<南海トラフ>

◇ 南海トラフとは
 南海トラフとは、日本の南岸の東海地方から紀伊半島の南の海域~四国沖までの水深4000 メートルほどの海底に位置する溝状の地形です。その長さは700 キロメートルにおよび、海側のフィリピン海プレートが陸側のユーラシアプレートの下に沈み込んでいる場所です。沈み込むスピードは1 年に数センチメートルですが、陸側のプレートがこの沈み込みに引きずられる形で力を受けています。陸側のプレートがこの力に耐えられなくなって反発し、跳ね上がることで、津波をともなう様な大地震がくり返し起こってきた場所です。


◇ 繰り返されてきた南海トラフ地震
 南海トラフでは、古くは『日本書紀』に記述がある684 年の地震以来、過去1400 年間に90 ~ 265 年の間隔で大地震が繰り返されています。地震発生の間隔は古い時代の方が長く、これは古い時代で記録がないだけの可能性も指摘されています。また、過去の地震から、南海トラフの半分のみで地震が生じた場合には、数年以内に残りの半分でも地震が発生する可能性が高い事がわかっています。

<南海トラフでの過去の地震と震源域>

南海トラフ地震が、一番最近に起きたのはおよそ80 年前の1944 年の昭和東南海地震と1946 年の昭和南海地震です。その前は、1854 年の安政東海地震と安政南海地震で、その間隔は90~ 92 年でした。
 このようなことから、近い将来に地震が発生し、津波が来ると考えた備えが今必要なのです。そのために、比較的詳しい記録が残っている前回発生した地震による津波災害を中心に、南海トラフを震源とする地震津波災害について、知っておきましょう。


◇ 1944 年昭和東南海地震津波
 昭和東南海沖地震は、1944 年12 月7 日午後1 時に発生しました。地震のマグニチュードは7.9 と推定されています。太平洋戦争の最中の地震で、東海地方の多くの軍需工場が大きな被害を受けました。地震の発生自体が秘密扱いであったため、新聞報道などの資料が少なく「隠された地震」といわれています。地震の翌日は太平洋戦争開戦三周年だったこともあり、国内の新聞での扱いは戦意高揚の記事に隠れ、非常に小さなものでした。それとは対照的に、太平洋戦争での敵国アメリカでは、ニューヨークタイムズ紙で、津波を伴う大きな被害が出ているはずであると、地震学者による分析記事が掲載されていました。
 そういう状況下でも被害調査は行われ、報告書が残されています。震源域は熊野灘から志摩半島、渥美半島沖で、この地震による津波は伊豆半島から三重県沿岸までを襲ったとされています。
 津波の高さは三重県の沿岸で6~ 10 メートルに達し、三重県での地震被害のほとんどは津波によるものであると結論付けられています。被害の大きかったのは熊野灘に面した漁村でした。
 津波の被害が大きかった地域には、多くの証言記録が残されています。” 海の水がごっそり引いて普段は見えない海の底が見えた。それは真っ赤で、赤い火のようだった。” というものや、” 子どものころ聞いた話では、潮がひくとのことだったが、潮が引く気配などなく、そのまま海面が膨れ上がった” ーという様にさまざまです。これらの証言は、津波の始まりが、場所や地形で異なったり、過去の言い伝えとも違うという、事実を知る上で重要なものです。それだけではなく、” 真っ赤な火のような海底” というような証言からは、津波に遭遇するという、非日常下の衝撃を人はどの様に記憶に刻むのか、という事が示されているようにも思います。


 
◇ 1946 年昭和南海地震津波
 昭和南海地震は、昭和東南海地震から2 年後の1946 年12 月21 日午前4 時に発生しました。” 南海トラフの半分で地震が起こると数年後にもう半分でも起こる可能性が高い” という事に当てはまる例です。地震のマグニチュードは8.0、震源は潮岬南方沖です。津波は紀伊半島南部から四国にかけての太平洋沿岸を襲いました。津波の高さは5 ~ 6 メートルでした。津波は地震の揺れの後、震源に近い場所では10 分以内で来襲したところもありました。
 昭和南海地震では気になる特徴的な現象がありました。地震発生前に四国の太平洋沿岸で井戸水が濁ったり、水位が低下していたことが報告されていたのです。その仕組みは解明されていませんが、前兆現象の可能性があると考えられています。
 また、地震によって高知市では地盤の沈下が起こり、津波による浸水がなかなか引きませんでした。この地盤沈下は、南海沖地震に共通する現象として知られています。なんと、684 年に起こった南海地震において、” 田が没して海となった” と日本書紀にも記されているそうです。 
 昭和南海地震では1,330 名が犠牲になりました。広範囲で強い揺れがあった地震ですが、揺れよりも津波による犠牲者が多かったと報告されています。


◇ 過去の地震から何を学ぶか
 これらの事から私たちが学ぶべきことは何でしょうか。それは津波がどの位で来るか、始まりが海水面の低下か、海面が上昇し高い波がやってくるかとか、何度目の波が一番大きいか等は大事なことではなく、言い伝えに頼らずにいのちを守るという事があるかもしれません。かつて地震の研究が未発達の頃は、せいぜい祖父母の世代の一度の経験が受け継がれる知恵でした。今は古い地質を調べたり古文書の研究がなされてはるかに多くのことがわかっています。共通して起こった事への備えをしつつ、同じような震源でもわずかな違いでやってくる津波は大きく変わると考えて、より危険な側の考えをもって迅速な避難をすることが大事です。